「トレーニング再興戦略」の立ち読みしませんか? Part.6
おはようございます。
いつもはスポーツ愛好家で賑やかになる、夕方18:00の駿河台下です。
ご覧いただいた通り、全くヒトの姿は見えず、こんな光景はお正月にしか見ることができません。
コンクリートジャングルとはまさにこのことです。
「首都一極集中」を追い求めてきた人類は、一体これからどこに向かうのだろうか。
先送りにしてきた問題の一つである「地方創生」は、実現可能なのか。
コロナによって問題が顕在化したいくつもの問題を、これからクリアする必要があるのでしょう。
それは、トレーニングの分野も同じことなので、「立ち読みシリーズ」で何かヒントを得てくれるヒトが、すこしでもいればうれしーなと思うところです。
それでは、『トレーニング再興戦略を立ち読みしませんか?Part.6』です。
どうぞ、お楽しみください。
▶︎石川のノンリスクで生きた青年時代と、FUJIYAMAにのったハイリスクのおやじ時代
北海道紋別市で育ったボクは、高校を卒業して、札幌学院大学に進学したんだ。
紋別市って聞いたことある?
電車はないんだけど、羽田から1日1便、全日空の飛行機が就航している、ホタテと毛ガニが美味しい街なんだ。
でも、一番のオススメはタコの刺身。
キングコングの西野さんは、「刺身の中で一番美味しいのはタコだ!」と公言した。
嬉しかった。
ぜひ、オホーツク海で捕れたての生タコ刺を、ご賞味いただきたい。
みんなも、旅行や出張で紋別に行ったときは、必ず食べて欲しい。
タコ唐にしちゃあ、嫌よ。
そんな海の街で育った少年石川は、幼少期から特に勉学に励んでいた訳でもなく、スポーツの才能が突出してもいない、いわば普通の子供だった。
どれだけ勉強をしていなかったかというと、
高校進学も推薦、
大学進学も指定校推薦、
信用金庫への就職もコネ、(※これ、言っちゃあ不味いかな?)
という安定感抜群で低リスクの進路選択をし、「勉強をしなかった」というより、「苦労」を避けていた「臆病者」の典型的な例だ。
その彼が、「本気で世界を獲るよ!」と公言しているのだから驚きだ。
いまは、瀕死だけどね。(笑)
1つだけついて回ったことがある。
それはコミュニティの、リーダーになる機会が多かったこと。
なぜか小学生のとき、児童会長に立候補して半年間務めたり、部活でのキャプテンは中高と指名され、割とリーダーシップの才覚だけはあったのかもしれない。
選んだ人の人選ミスという話もある。
大学でも指名されたのだけど、流石に大学では自由を求め、丁重にお断りした。
ただ、遊びたかっただけだろう。
そうして、ノンリスクのコネを使い、誰もが安定をイメージする信用金庫に入庫した。
さぁ、このホノボノ過ごしてきた石川青年が、最高部高度79m/最高速度130kmのFUJIYAMAジェットコースターに、足を踏み入れた記念すべき日だ。
入庫したその春はタイミングが悪く、金融庁の検査が入り、土日祝日返上で7:30に出勤し深夜2:00を迎える日々だった。
仕事もパッとした才気を発覚した訳でもなく、上司にも目をつけられ、散々たる日々を過ごした。
辞めてから聞いたのだが、新人歓迎会で「パチっん!」と頭を叩いた女性スタッフとボクの上司が、いい関係だったらしく、いじめにあったのが合点いった。
ボクも大学あがりだったので、調子にのっていたのは間違いない。
だって、内定通知をもらい、人事部から実家に電話が合っても、「また、かかってくるだろ」と、かけ直すことがなかったのだ。
もし、そんな愚行をしでかす社員がラボにいたら、果たしてどうだろうか。
みんな、そんな悪いことしてはダメだよ。
とかく、いま考えると電通なみのブラック企業の中で、無知な青年石川は「それが普通」と勘違いし、精神的に相当鍛えられたのだ。
結果的には、後の苦行を耐えるための修行となり、この経験がなければ、今この文章を書き下ろすことはなかったであろう。
それから2年の時を経て渉外係へ転属になったのだ。
これが転機だった。
FUJIYAMAで最高速度で駆け下りた2年を取り返すように、ゆっくーり登っていったのだ。
初めて仕事が楽しいと思った瞬間だった。
少し早足で進めるね。
まだ無知な青年石川は、一大決心で信用金庫を辞め、上京することになり、「師匠の言うことさえ聞いてれば、上手くいくんだ!」と、またヒトに甘えた。
その結果、また最高速度で駆け下りるのだった。
「石川君、ここのお店を任せるよ」と9ヶ月程度で打診をいただき、また悪い癖で「師匠の言うことさえ聞いてれば、イケるよ!」と自分にいい聞かせ、引き受けた。
マーケティングも施術の技術も知らない青年石川は、お客様が来ることのないお店で、ただただ1人で、「ボケー」っとしてた。
勘違いしないで欲しいのは、師匠を恨むことは一切無い。
自分の無知さと、甘えが生んだことだ。
当然お金もなく、朝6:00から9:00で青の縦縞の制服を着てコンビニに立ち、10:00から19:00まで相変わらずお店で「ボケー」っと過ごし、19:30から23:45まで某一流ゲーム会社のスポーツジムでアルバイトをした。
5年間続けたので、結構キツイよね。
でも、「金庫に入庫した2年間に比べれば余裕!」と、ただただ耐えることはできた。
なんでかって?
こんな無知でも、夢を追って上京したからね。
そして9年の歳月を過ごし、カラダラボを起業し独立の道を歩んだんだ。
「苦労」を知ることのない学生時代のつけが、一気に吹き荒れた、社会人生活の第1章の幕引きだ。
「お前の半生を聞くのは飽きたよ!」
そうだよね。
でも、本題はここからなんだ。
もう少しつきあってね。
考えてもみて。
こんな環境で育ってきた青年石川(当時34歳なので、もう立派なおじさんかな)が創業した株式会社カラダラボは、当然グレーからブラック寄りだ。
なんせ、「成果」や「効率」よりも、「時間」を費やす典型的な日本企業の考えの下で、育ってきたからね。
「質なんか二の次で、とにかく量が必要だ!」と。
つづく。
それではまた更新します。
みなさん素敵な一日をお過ごしください。
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